渡辺みちたか(自民党・新宿区議会議員)official blog

新宿のミッチー。新宿区議会議員(自民党)。1985年12月生まれ。「渡辺ミッチー」こと渡辺美智雄・元副総理の孫。慶応義塾高等学校・慶応義塾大学・同大学院卒業。中小企業勤務、国会議員秘書を経て新宿区議会議員(2期)。会派は自民党区議団。

渡辺喜美さんの政界引退

 伯父であり、秘書として仕えたこともある渡辺喜美さんが政界引退を宣言をした。

 ここ数年は袂を分かつ形*1になってしまって、私にもネガティブな感情があったけど、こうして引退の報を聞くと色々と考えてしまう。

 私が大学院生の時に、将来は政治家を目指したいと喜美さんに相談しに行くと「これからの時代の政治家は民間の経験がないやつは使い物にならない」といって、民間に就職することを勧められた。私はリクルート出身者が経営する小さな企業に就職し、そこで目標に対する意識やそれに向かっての行動を叩き込まれ、その経験は財産になっている。(使い物になる政治家になれてると信じたい)

 私が2013年6月の都議選で落選した時、「しばらく修行しろ」といって喜美事務所にいれてもらった。喜美事務所では随行役と運転手役、地元と東京事務所のリエゾン役で、大した仕事はしてないけど政治(というか政局)の最前線を疑似体験させてもらった。当時喜美さんはみんなの党の代表で、江田憲司幹事長と内部争いをしていた。結果、江田さんは結いの党を結成して分派するんだけど、その間の水面下の駆け引きやら、マスコミ対応や大義名分づくりやら、多数派工作、議員への根回しやらを間近でみさせてもらった。

 2014年になるとDHCの会長が渡辺喜美に7億円の金を貸したというスキャンダルがでてきて、雲隠れ、代表辞任、浅尾慶一郎代表との内部闘争、みんなの党解党、そして落選という政局が続いて起こった。マスコミとのカーチェイス、検察・弁護士用の資料作り、スポンサーへのお願い、解党阻止への動き、そして超逆風の中での選挙…… この年も得難い経験をさせてもらった。

 民間企業は「売上/シェアの増大」「利益の最大化」という組織の共通目標があって構成員はそれに向かって頑張れるけど、政治の業界って、何かを生み出すわけでもないし、仕事を頑張ると昇給するわけでもない。だから、この業界はセクションセクションで、個人個人でみんな別の思惑があるんだなっていうのも痛感した。つまり、みんなの党で言えば、所属議員には議員個人の思惑があって、党の職員(事務方)には事務方の思惑があって、代表の渡辺喜美事務所では事務所の中で思惑があって、さらに言えば東京事務所と地元事務所には別の思惑がある、みたいな。みんなバラバラのことを考えてる。だから誰々が何を考えていて、こうするとあいつは動く、みたいなことを考える必要がある*2。そんなバラバラの組織をまとめる最大のコンテンツがみんなの党の場合、「渡辺喜美が好きだ」、「渡辺喜美についていけば間違いないだろう」というものだったんだと思う。だからDHCで喜美さんがズッコケた後、あっという間に空中分解してしまった。

 しかし、人気とか権力って本当に儚い。お金は積み重なって、後世にも残せるけど、権力や人気ってその場限りのものなんだな。喜美さんは一時期「総理にしたい人」ランキング、舛添要一さんに次いで第2位だった。みんなの党の比例票も自民、民主に次いで第3党だったこともある(公明党を上回った)。34人の国会議員を率いる政党の党首で永田町を肩で風切って歩いていた。そんな喜美さんが最後はどこの政党にも入れてくれず、選挙にも出られず引退していく。人気者の最後、さびしすぎでしょ。

*1:喜美さんが維新に行き、私と兄が自民党に入り、喜美さんは私の選挙区に対立候補を立ててきたこともある

*2:こういう能力をこの業界では調整能力という