話題の『みいちゃんと山田さん』は親の支援がない知的障害(軽度)・特性持ちが生きていく困難さを、よく描いた作品だと思います。
Xではアニメ化に否定的ですが、私はデメリットよりも、こういう人がいて、こうした生きづらさを抱えている、と世の中に問題提起できる効果の方が高いと感じました。
いじめてくるヤツは所詮、「みいちゃん」を知っていても、いなくてもバカにしてくるので、アニメ化はあまり関係ありません。
以下、ネタバレなしでレビューします。
◆夜の繁華街で生きる
水商売・風俗などを生業として、夜の繁華街で生きていくのは容易ではありません。繁華街は「だまされた方がバカだ」、という弱肉強食の世界です。一見、優しく見える味方や、助けてくれる人だと思っていても、実は裏の思惑があったり、簡単に手のひら返しをされるものです。
こんな、健常者でも生き延びるのが大変な世界で、主人公のみいちゃんは(作中では具体的には語られませんが)軽度知的障害をもち、本人はなんとか頑張って生活しているつもりでも、売上をちょろまかされたり、お金を巻き上げられたり、周囲からは「いいように使われている」、「食い物にされている」と思われています。(読者もそう感じると思います)
みいちゃんはキャバクラで働き始めますが、水商売や風俗は一度その世界に入ると、なかなか戻ってこれない仕掛けがあります。
水・風の仕事は高収入ですが、同時に高支出でもあります。同業づきあいや、美容関係、体力回復の針、マッサージなど、さらに高ストレスでもあるので、ストレス解消やメンタルを保つためのペットや、ブランド品などの高額消費、ホストなどの支出があり、稼ぎほどのお金がなかなか残らないものです。
また風俗の給料は日払いなので、「明日から貯めればいい」、「私はいつだって稼げる」という心理が働き、貯金しづらくなっています。
貯金より、その日にたまった高ストレスを、その日中に発散させたくなるのです。宵越しの銭が持たないのは江戸っ子だけではありません。作中では主人公が昼職(パン屋)に転職し、一日苦労して働き、その日の給料をもらえず翌月払いと言われ、衝撃を受けるシーンがありました。
さて、繁華街でみいちゃんが生き残っていくために使っているのは体です。
みいちゃんは誰にでも体をすぐに許してしまいます。それどころか、むしろ自分から進んで体を提供します。
一般の価値観では軽蔑されるふるまいですが、みいちゃんは肉体関係を通じてしか、人とコミュニケーションを取れません。みいちゃんは怒られることが何よりも嫌いですが、これまでの人生で、いじめっ子も、学校の先生も、職場の同僚も、みんな体を差し出しているときは優しくなり、万引きした店の店長も許してくれました。
このように体を使うことは彼女にとって、ものごとを円滑にするコミュニケーションの唯一の手段で、人間関係構築が究極的に下手なみいちゃんにとって、これこそが彼女の生き残り戦術であり、成功体験でもあるのです。
昼の世界でこれをすると、「ヤバいヤツ」、「地雷女」と評価されて生きていけませんが、夜の世界では周りに見下されながらも重宝される一面もあり、これもさまざまなバックグラウンドをもった人が集まる、夜の街の「懐の深さ」と言えるかもしれません。
◆こんな自分でも愛してくれる人がいる
職場では失敗ばかりして、迷惑をかけて、迷惑をかけたことに気づかず、謝ることもしないと、友達も恋人もできません。
だけど世の中にはこんな人でも優しくしてくれる人がいます。それがホスト(キャバクラ)です。ホストクラブでの恋愛は、とてもむなしいものです。なぜならお金が介在しないと愛してくれないから。でも、逆に考えると、ホスト(キャバクラ)での疑似恋愛はお金以外はなにもいらないし、お金が続く限り、愛も続くのです。単純でわかりやすいインスタントな関係です。
普通、友達や恋人はいろいろな共通の体験を通じ、信頼を積んで関係が構築されますが、ホストやキャバはそういうめんどくさい部分を、お金というファストパスですっ飛ばすことができます。日常生活で信頼関係を築けない人にとって、こんなにいいことは他にありません。だからハマりやすいのです。
(みいちゃんの「彼氏」はホストではありませんが、関係性はこれと同じです)
よく「ホス狂は依存症だ」といわれますが、これは親や友人など周囲が心配しているのに、本人が望んでホストに通っているためです。アルコール依存症の当事者が「うるさい、俺が大丈夫って言ってるんだから、大丈夫なんだ!」、「俺の金を俺がつかって何が悪い!」というのと同じで、本人がその破滅の道を突き進むことを望んでいるのです。
周りはホストに搾取されていると心配しますが、本人は自分の意志でお金を使っている(そしてなりふり構わず稼いでいる)のです。
私は、かつてホストに通っていた方に話を聞いた時、「あの時は頑張ってたんだよね~」と、嫌な思い出ではなく、昔を懐かしむように語っていたのが印象的でした。
お金が間にある疑似恋愛の陶酔状態。この状態は決して「幸せ」だとは思いませんが、「不幸」とも言えないのです。当人にしかわからない、言葉に表すことのできない状態だと思います。
そして、もう1点。みいちゃんは「彼氏」のマオくんにお金を払って愛して(?)もらっていますが、それと同時に、彼女自身が、シゲオくんをはじめ、客からお金をもらって愛を与えている存在でもあります。
「頂き女子りりちゃん」がおぢから金を巻きあげて、それをホストにつぎ込んでいたように。りりちゃんはホストの前では、自分自身がおぢになって「頂かれて」いたのです。このように繁華街での人間性は一面では語れません。
◆行政の限界
この物語では行政が登場します。でも、みいちゃんは行政の窓口にたどり着くことができなかったり、そもそも自分が支援が必要な人間であるという自覚がなかったり、行政と繋がるチャンスを拒否したり、結局、行政の支援を受けることができません。みいちゃんは健康保険証すら持っていないのです。
みいちゃんはよく「(私は)バカじゃないもん!」と言います。行政の支援は、自分は支援が必要な人間だ、と受け入れるところからスタートする限界があります。
世の中には、自立支援を拒否するホームレスや、「俺のカネをつかって何が悪い」というアルコール依存症、「うちの子は障害者ではない」という障害を持つ子の親など、自分(たち)には支援は必要ないと、手を差し伸べても拒否する人たちがいます。そうなると行政は手のうちようがありません。(行政の実際は、それでも継続的にアプローチし、信頼関係を築いて支援を「受け入れてもらう」ことをしています)
本作で注目すべきは主人公・みいちゃんの対比する存在で、同程度の障害・特性をもつ同級生のムウちゃんです。彼女は紆余曲折ありながら、行政の支援をうけて作業所に通っています。殺されてしまう(?)みいちゃんと、行政の支援を受けられたムウちゃんとで、いったいなにが違ったのか考えさせられます。
親、といえばひとことなのですが、みいちゃんの悲惨を加速させているのが親の存在です。
祖母は行政の支援を受け入れるか迷うシーンがありますが、「世間体」を考え、拒否し、みいちゃんの成人後は100万円の餞別をもたせて東京に厄介払いをしています。
法律上、未成年の子に対して親権者の権限と責任はとても大きいですが、障害者にとって親は最大の支援者、支えてくれる人であり、みいちゃんはその支援者がいませんでした。こうした場合、行政はどうすべきなんでしょうか。
2024年4月、「困難を抱える女性支援法」が施行されました。その名の通りの法律なのですが、親もみいちゃんも、「自分は困難を抱えている」と思っていない場合、困難を抱える女性にあたるのでしょうか。
とまあ、知的障害、毒親、繁華街などさまざまなテーマで考えさせられる作品です。単行本は9月完結ということで、まだ物語が続いています。9月に完結したらまたレビューすると思います。
この文章の散漫さは、『みいちゃんと山田さん』が私の力ではまとめきれないほどのテーマを扱っている、ということです。おもしろい漫画でした。
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◆(8月2日追記)当事者意識がない、と言われてショックです
「支援を望まない人も包括する仕組みを作るのがあなたの仕事」というブコメに多くの星がついていますが、(議員も行政も)それに苦慮している、というのがこのエントリーと思ってください。
「支援を望まない人を支援する」のはとても難しいことで、つまり、当人の意に反して強制的に、行政が自由や選択肢を奪うことにつながるからです。例えば、精神病院への強制入院(措置入院など)はしばしばトラブルが起こります。
では、アルコール依存やホスト依存、みいちゃんのように「私はバカじゃない」といっている人を強制的に施設に入所させること、(例が極端なら、カウンセリングをうけさせることなど、に置き換えて考えてください)は支援と言えるでしょうか。これこそ、はてな民が最も嫌いな「政府権力が市民の自由を~」ってやつなんじゃないですか。
なので、実際の行政はNPOなどに協力をしてもらって、支援の必要性を説き、粘り強くコミュニケーションをとり、信頼関係を作って、支援を「受け入れてもらう」ことをしているのです。