◆高市総理の政治家としての生き様
国会の予算委員会の映像をみると、高市総理、めっちゃ痩せましたよね。
総裁選で勝利した時、「働いて働いて、働いてまいります」と宣言した高市さんですが、私はこの発言を報道で聞いた時、「言葉の軽い総理だな~」と思って、ネガティブな発信をしました。私は国家観も、経済政策も高市総理の考えとは距離感があるので、総理にあまりいい印象を持っていなかった、というのもあります。
でも高市総裁は自分の所属政党のトップですので、なにか政治家として尊敬できるところや、共感できる部分を見つけられたらいいなと思い、高市早苗公式HPのコラムを夜な夜な読み進めました。読み終わったのは衆院選後、ちょうどコラムの削除が行われて話題になる3日前でした。
高市イズムに溢れたコラムは、高市さんの生き方の一端をみることができ、とても勉強になりました。(私は総理と考えは違いますが、)素晴らしい政治家だと思います。そして、いくつかの私の思い違いもわかりました。
この「働いて働いて、働いてまいります」という言葉への批判も、そのひとつです。
なぜなら、高市さんは、これまで責任のある立場に置かれたとき、本当にぶっ倒れるまでハードワークをこなしていたからです。「働いて働いて働きまくる」ことは彼女の政治家としての生き様そのものだったのです。
以下、皆さんにもご紹介したいと思います。
◆「働いて働いて、働きまくる」高市さん
まず、初入閣安倍一次内閣のとき、
「私は地味なキャラクターで華は無いかもしれませんが、現行の施策や効果をじっくりと分析して地道に新しい政策を組み立てていく作業は得意な方だと思っています。とにかく寝食を忘れて職務に没頭する覚悟です」とコラムで宣言しました。(このときすでに「働いて働いて、」と同じことを言っていたのです)
そして、就任から半年後、2月21日の内閣委員会の答弁中に、声がでなくなり、歩行困難になったのです。この原因は極度の睡眠不足と過労で、直前4日間の睡眠時間は4時間だったそうです(イノベーション21の中間とりまとめと、答弁準備のため)。宣言どおり、「寝食を忘れて職務に没頭」していたのです。
次。2012年、安倍総裁が再登板し野田総理の国会答弁で急遽解散が決まり、高市さんは自民党広報本部長として総選挙を迎えました。党の広報物の準備で徹夜続きとなり、ついに地元では1軒のあいさつ回りができないまま、選挙戦を突入しました。自分の選挙より、職分である党の選挙を優先したエピソードですね。
◆鎮痛剤、親の死に目にも
さて、選挙は無事終わり、当選。そのあとの安倍二次政権では党の政調会長を務めました。その数か月後です。「お父さんが重篤な状態」とお母さんから連絡がありました。
ところが高市さんは、参院選の公約をどうしても仕上げたいと仕事を優先し、文字通り、親の死に目にも会えませんでした。(これはのちに後悔をほのめかす文章もアップしていました。)その後、12月に政調会長としての激務を、「私にとりましては、極度の睡眠不足で体が悲鳴を上げるほどハードだった12月でした。若い頃には徹夜が続いても平気でしたが、52歳の現在では体力の衰えと肌の回復力の遅さを痛感してしまいます」とも書いています。
安倍4次内閣では総務大臣を務めましたが、大臣在任中は常に謎の発疹があったけど、退任して数日後に発疹が全て消え去ったこと、大臣退任後1か月で5キロ太った(戻った)というエピソードは、在任中、極度のストレスや過労にさらされていたという話だと思います。
2021年の岸田政権では再度、党の政調会長を務めましたが、衆院選公約づくりのために5日連続の徹夜エピソードを披露しています。衆院選突入後は「右足の捻挫、連日のグータッチで両手首の捻挫と、夜間の湿布と鎮痛剤が手放せない選挙戦」と満身創痍の状態で選挙(の応援)を戦ったことをふり返っています。
◆働いて働いて、働きまくるのもいいけれど……
このように、高市さんは徹夜でフラフラになり、鎮痛剤を使ってまで仕事に励んできました。この姿勢には賛否がありそうですが、高市総理の「働いて働いて」宣言は、少なくとも「軽い言葉」ではありませんでした。
同時に、最近めっちゃ痩せた高市総理は総理になっても今まで同様、いや、今まで以上のハードワークをしているのではないでしょうか。高い支持率を誇る高市政権ですが、政権の一番のリスクは高市総理の過労とストレスかもしれません。
どうか、休める時は休んで職務に励んでいただきたいと思います。