本来、靖国神社に誰がいつお参りしようとも、個人の信仰の話なので何人もとやかくいう権利はありません。
にもかかわらず、マスコミはこの時期、靖国に参拝する政治家を報道し、騒ぎ立てます。この行動はわざと国際問題を起こさせようとしているとしか考えられません。鎮魂と平和を祈る議員の取材をしたいなら、国立の千鳥ヶ淵戦没者墓苑に行った議員を注目すればいいのです。
さて、保守層からは靖国神社に参拝することがもてはやされていますが、近隣国の反発を恐れずに靖国神社に行くことが保守政治家として称賛されべき行動かと言えば、私はそうは思いません。
外圧を恐れず参拝するのは強さを感じて、カッコいいかもしれません。が、政府の要職にあるものが行けば、報道され、アジアの政府は(本心はどうであれ)不快感を出さざるを得ません。そして、近隣国から不快感がでれば日本人も反発をし、日本人はますます近隣国を嫌いになるのです。またアジアの国々の内部にいる親日派の顔を潰してもいて、はっきり言えば、外交的にいいことはありません。
こうした一連の反応を分かったうえで参拝するのは、よほど強い信仰心があるのでしょう。でも、信仰として、鎮魂と平和・安寧を祈るのであれば、アジアの国々を刺激する方法でわざわざ参拝するのは、その本意に反しているようにも思います。
かつて聞いた話です。議員会館の自室に神棚を据え、靖国神社のお札をまつって、毎日手を合わせている、だけど、終戦の日に、あえて騒がれる靖国神社にはいかない議員。
この穏健なふるまいこそ、まさに国士、保守政治家なのではないでしょうか。
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そういえば私の祖父も、死の直前まで東京で自宅をもたず、九段の議員宿舎に住んでいました。朝の散歩ついでに靖国神社の前で手をあわせていましたが、参拝が政治問題化して以降、終戦の日に合わせて靖国参拝をすることはなかったと聞いています。
政治家の端くれの私にとって、先の大戦を導き、多くの不幸を生み出し、敗戦に至らせた戦争指導者たちは尊崇の対象ではありませんので、敗戦の日というメモリアルデーに靖国神社に参拝はしません。
今日、8月15日は昨年に続いて、靖国神社のすぐ近く、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で献花をしてきました。
国のため、家族のため、何かを守るべきもののため、あるいはイヤイヤ戦地に派遣され、命を落とした方もいるでしょう。そうした無名戦士たちの安らかな眠りを祈り、戦後80年の今、私もなんとか平和で暮らしていますと報告をしてきました。
「くにのためいのちささげしひとびとの ことをおもへばむねせまりくる」