渡辺みちたか(自民党・新宿区議会議員)official blog

新宿のミッチー。新宿区議会議員(自民党)。1985年12月生まれ。「渡辺ミッチー」こと渡辺美智雄・元副総理の孫。慶応義塾高等学校・慶応義塾大学・同大学院卒業。中小企業勤務、国会議員秘書を経て新宿区議会議員(2期)。会派は自民党区議団。

石原慎太郎先生なくなる

 私が2013年6月に都議選に落選した後、政治の道をあきらめきれずに色々な方に相談したところ、渡辺喜美さんの秘書として使ってもらうことになった。
 当時渡辺喜美さんはみんなの党の代表で、同年7月の参議院選挙でみんなの党は10議席を獲得し、衆参合わせて国会議員36人の政党党首ということで飛ぶ鳥を落とす勢いだった。「オレが自民党に残っていたら、36人の派閥の領袖にはなれてねえよなぁ」なんてことも言っていたり、本人も絶頂の気分にあったと思う(ちなみに今の岸田総裁率いる岸田派は44人だ)。一方の維新の会は西の橋下徹さんと東の石原慎太郎さんの共同代表体制で、二巨頭をトップに勢力拡大を図っていた。みんなの党も維新の会も共にコンサバかつ改革志向で「自民でも民主でもない」第三極政党であり、合流を模索していた。結果的に合流はうまくいかなかったのだが。(みんなの党と分派した江田憲司さん率いる結いの党と、日本維新の会が合流するが、それに反対する石原さん一派は次世代の党として分党した)
 そんな第三極の合流話がある中で渡辺喜美さんと石原慎太郎さんは国会内外で会合を重ねていた。ある会合後にぽろっと喜美さんが「キミ(喜美さん)とオレ(石原さん)みたいに政治に命を懸けるやつは減ったよな、と言われたけどホントにそうだよな」と言っていたのが大変に印象深い。石原さんの知事時代の取組み(国に先駆けたディーゼル車規制、認証保育園、尖閣諸島の買収計画など)や、その安泰すぎる知事という地位をなげうって保守第三極政党にかけたことを考えると、日本の未来に強い思いを持つ国士だった。弟や4人の息子を徹底的に守る姿勢は常に「縁故びいきだ」と批判が付きまとうが、言い換えれば家族を大切にする家族思いの父で、こうした部分も面倒見のいい昔の政治家らしくて好きだった。
 渡辺家とは祖父渡辺美智雄時代からの付き合いで青嵐会でご一緒させていただいたし、著書『オンリーイエスタディ』では一章を割いて渡辺美智雄とのエピソードを披露いただいた。輝く経歴、スタイリッシュさは全然違うが、失言癖があり、よくも悪くも目立つ政治家としてのスタイルはミッチーと同じだったのかなとふと気づく。
 昭和・平成を駆け続けてきた大政治家の訃報に謹んでお悔やみ申し上げます。